熱血漢の戯れ言

偉人に逸話は付きものだ(というか有名人でなくては逸話たり得ない).なので,わたくしも将来偉くなったときのために,若いウチにトホホな逸話作りをしておこうかなどと考えている間に,道はどんどん遠くなっているに違いない.ニュートンアインシュタインについてはまあおいといて,彼の偉大なるシュレーディンガーは児童性愛者だったそうな.なんて事が流布してしまっては,子孫も胸を張れないですね.ぇーぁぃは児童性愛者ではないですが(びくびく),なんかダメな感じのオタクだったりします.
オタク第一世代方も,そろそろ中年なので,もう十年とかしたら,オタクでしたって感じのノーベル賞受賞者がでるかも知れないなぁ.しかしそれはそれで地味だな.まぁわたくしの大変どうでもいい野望として,大学教授になれたら,萌える材料科学とか本をかいて,自分の講義に使いたいもんだねぇとか,考えているワケなぃょ.あーめん.
たとえば,人生の道(あるいは選択肢)について,自分にとって最良と思える道が複数あるのと,最良と思える道がただ一つあるのと,さてどちらがいいか.一方が他方に比べて本人が幸せを感じるために何か利点があるか,あるいはたいした違いは無いのか,あるいは場合によるのか.少女漫画的に言えば,運命の出会いを信じるのと,いい男がつぎから次へと言い寄ってくるのとどちらがいいか....根拠を挙げてどちらを押すこともできるが,結局これは本人の性格によると思う.モラトリアムが終わるころには,その人のそれまで人生が集中的であったか,分散的であったのかは,もう色が付いていることだろうし.
幸いにして,世の中は仕事以外の趣味をもてる人は多いし,愛人だって作ることはできる(オイ).二番目三番目の選択肢を生かすことができるのだ.しかしそれが,その人の"一番"の足を引っ張るようなことがあっては,不幸だというより,情けないな.つまりもうすぐ後期授業が始まるが,影響が出ないようにさっさと原稿を終わらせろってことです.
必然にして最良の道があるのなら,それに巡り会えたことはとても幸福な事だ.運命を感じるのはきっとそういう瞬間だろう.たとえば下の図のような場合.これを本の表紙にするのならば,ロゴを入れる位置や大きさは,ただ一通りに定まるのだ.

穿いてるとか,穿いてないとか,そんなことはどうだっていいんだよ.隠すから.