鍋なんて誰も失敗しません

カレー粉を入れれば何でもカレーに成るのと同様に,鍋の具を茹でれば鍋になります.凝ればいろいろあるんでしょうけど,フツー身の程をわきまえてやる分にはまず失敗なんてしません.
古代錬金術において,ズバリ金を錬成することは,小金色の合金を作ることでありまして,当時の人の感覚としても小金色をしていればイミテーションでもまぁよかったのです.実際そのためには何割かの金が必要だったので,増量法とも呼ばれたり.
原子論が出てきたのが16世紀のことで,それまではアリストテレス四元素説とかの影響が長々と残っていたのですね.やっぱり金なんて79Auでなくて,金色して腐食されにくけりゃ金だったわけです.で,なんで紀元前のそんな昔の人のうさんくさい理論が近代まで尾を引いたのかというと,"錬金術の秘訣は太古の古人はこれをすべて知っていた."という信念が広く共通してあったということですね.これは単に知識が足りなかったと言うだけではなくて,科学的知識が宗教とか思想とかそういう権威的なものに逆らえなかったから,それらの権威に(表向き)整合する形でしか知識の体系が組めなかったという背景があるのですね.
さて鍋なんですが,わたくしの理解では料理なんて錬金術みたいなもので,いろいろ混ぜて作りたい味を作っていく点でイミテーションがいくらでも通用すると思うんです.キムチ鍋の素の赤色は,パプリカ色素なんです(唐辛子の赤と成分的には殆ど変わらないと思うけど).結局,成分の出所は重要でなくて,比が重要なんですよ.なので料理の味付けを化学的に解体してしまえば,成分の線形和で近似できるはずなんです.だから,キムチ鍋の素とか,キムチを使わないでも,キムチ鍋と同じ味を錬成することは,原理的に可能なはずだと意気込んで,
そして失敗したのが昨日の事でした.キムチの酸味と魚系のうまみを表現するために,柑橘系の果汁や煮干し出しそれからヨーグルトなどと,香辛料や調味料を組み合わせて試行錯誤したのですが,結局食材に贖罪するはめになりました.
そんなこんなで,今日はふつーになんの工夫もない鍋です.おいしいです.