ちょっとアキバまで

この日は一人だったので,メイド喫茶には行きませんでした.
ええと,買ったのはコンパクトなキーボードとか,家用のルータとか,ケーブルとか.おかげさまで家庭内LANが構築できまして,ノーパソ(ノーパンではない)へのデータの移行もすいすい.(この日の日記を書いている12日現在,ノーパソは研究室に据え置かれ続け,ルータは既にその存在意義を失っている.電気の無駄)
それからちょっと大きなお買いもの.高いもの買うときは,どうしても判断力が鈍るというか,他に候補が無くても買うのを躊躇してしまうチキン野郎ですが,展示品と見つめ合うこと30分あまり.予定通りモニターを新調.


なんというか電車男からもだいぶ立ちますが,アキバの普通人人口は減る様子が無いですね.街の様子もいろいろ変わりましたし,リピーターが多いって事でしょうかねぇ.まあどおでもいいけど.オタクも原宿とか渋谷とか行くしね.
アキバを「オタクの聖地」と言ったり(ホントに言うのはメディアだけだとおもうが)するのは,案外言い得て妙だと思います.普通人に踏み込まれて,何となく庭が荒らされる様な不快感を覚えるあたりがなんとも聖地らしい.
多くオタク自身は,普通人がオタクの事を蔑視し普通人の妄想する階級においてはオタクは下位に落とし込まれることを,理解しています.自分を見下す人間に観測されて,彼らのパラダイムの中で都合良く解釈されることが,気分のいいことなんてあるわけはなく,つまりは見下されるのが嫌という事です.
これを土地と絡めて問題にするにはもう少し説明が必要です.上記のような問題を避ける為に,最も簡単で有効な手段は普通人と接触しない事です.普通人のテリトリーに足を踏み入れなければ,彼らに嘲笑われることはありませんし,心静かに過ごす事が出来るでしょう.そして,観光地化する前のアキバは普通人の存在確率が低く,オタクにとって心理的に安息しやすい土地でありました.そこへ,フジや日テレに煽られた普通人が,オタクを物見にするために現れるなど,なんと恐ろしいことか.ここで指摘しておきたいのは,オタクを批判するときにに「オタク文化は自己完結形で,閉鎖的だ」という感じのことが言われたりしますが,そのようにオタク文化一部の世界に閉じ込めてきたのは,マジョリティーである普通人が社会全体でもって与えるプレッシャーに寄るところもあると言うことです.虐められて登校拒否になるのと似ています.そうして今,その子の家に押しかけて,逃げられない場所で再び笑いものにしようとするなどなんと非道いことか(これは被害妄想).
アキバを観光する普通人を批判することは,容易な戦略です.先住民として,「普通人が来てから,街が汚れた」とか「道を聞かれることにショップ店員が迷惑してる」とかいうのは,まるで真っ当な批判であるかのように聞こえます.しかし結局はそれらは後付の理由に過ぎず,上記のような感情的な理由が一番大きいのではないかと.結局オタクがブログで愚痴をこぼしていたところで,なんの解決にもならず,ただただオタクは敗北させられ続ける構造は変わりません.


とか言うほど,ぇーぁぃは別にどうとも思って居るわけではありませんし,実際の世の中はもっと平和だとおもいますが.実際ぇーぁぃにとっては,メイド喫茶で働く娘が増えたり,オーバーニーを穿く女の子が増えたりした点で,功罪の功の法が勝ります.